日本橋横山町に事務所を構えられている冨川浩史建築設計事務所にお邪魔しました。
新築はもちろん、リノベーションや内装、インテリアデザインなど幅広くご活躍なさっています。
2005年に独立をきっかけに日本橋に来られたそうですが、日本橋を選ばれた理由、日本橋に実際に住んでみて感じたことなど、お伺いしました。
◆4階建ての広い事務所に4人のスタッフ!?
冨川設計事務所は日本橋横山町の問屋街にあります。
元々は傘問屋さんであった建物を「我々は空間さえあれば使いやすくするのは得意ですから!」とお洒落で利便性の高い設計事務所にリノベーションされています。
是非、事務所の前で2階から4階の天井を見上げてみて下さい。それぞれの天井の色合いは、今まで冨川さんが見た印象深い空の色を再現されています。雑多な都会の中で「空を見上げる楽しさ」。
遊び心がふんだんに盛り込まれています。
そんな素敵な広い事務所に主な従業員さんは4名とか!随分と広い使われ方をされているな?と思いますが、その理由を伺って納得しました。
設計デザインをされる時、皆さんも見たことがあるかと思いますが、建物模型を制作した上でその模型を何度も何度も色んな角度から検証して使いやすさやデザイン性などを検証します。
その際に一人分の限られた空間で作業すると、どうしても検証できる可能性も狭まってしまうのだとか!
広い空間で多くの可能性を並べることで、固定観念を払拭することができたり、図面の上で思いつかなかった新しい可能性を見つけることができたりするらしいのです。
「設計は一度として同じ仕事は無い!」全ての仕事が一期一会だからこそ、規定や経験則だけでなく、「気付き」を忘れないようにこだわられているのだそうです。
事務所にお邪魔してみると、あちらこちらにお洒落な照明器具やインテリア、変わった色の建材などが取り付けられています。
これらもみな、実際に現場に取り付ける前に実物を必ず見てみるように心掛けている名残なのだとか。
「広い空間=モックアップできる空間」
1階のショーウィンドーのような空間もしかり、建物全体がこれから生み出される無限の可能性を秘めた秘密基地のような空間になっているのです。
■江戸っ子の息遣いが残る街「問屋街」
冨川さんが日本橋に事務所を構えられたきっかけは、当初は最寄り駅が多いことや、公共交通の豊富さなど利便性が大きな理由だったそう。
しかし物件探しなどで日本橋を巡るともう一つこの街に惹かれる理由が見つかったのだとか。
「顔を合わせれば挨拶する下町風情」
事務所を構えてから、どんどん街が受け入れてくれる雰囲気にも魅力が増していったそうです。
日本橋横山町は「問屋街」として有名です。
問屋街を歩くと我々は見慣れない張り紙に驚きます!
「小売りお断り!」
一般消費者は立ち入れない雰囲気が強く残っています。しかしこれも江戸商人の「長く商売を続けるためのポリシー」なのだと教えてくれました。
流通スタイルが大きく変わり、ネット通販などを中心に消費者の購入方法もここ数年様変わりしてきています。長い問屋の歴史を持つこの街にも「変化」への対応を余儀なくされています。
代替わりをきっかけに「小売り業」にも業態を広げられる問屋さんもいます。しかしその一方で「小売りお断り!」の張り紙を守り続ける問屋さんもあるのです。
古い慣習だと一言でくくることはできません!ここには長く商売を続けてこられた皆さんの商売の神髄が込められていました。
「何代にも渡って問屋街を支えて下さったお客(小売業者)様の商売を奪うようなことがあっちゃなんねぇ!」
長く商売を続ける上で一番失ってはいけないもの「信頼」。
それを大事にしているからこそ、遠方の地方からも今も多くのお客様がこの問屋街に買い付けに来られる。
昨今でこそ「Win Win」などとよく耳にするが、そんなのは口にするまでも無い当たり前で、それ以上に深い絆を作り合って商いされている。
まだまだ学びたくなる魅力的な街ですね。
■この街をどのように受け継いでいくか?
現在の社会情勢、不景気、後継者不足・・・。
この街でも例に漏れること無く代々の土地を手放して離職する方も多い。
土地が広く空いたら大手デベロッパーさんが大きな商業施設やマンションとして再開発する。それは新しくこの街に住む人を増やし、経済の仕組みを生む。
決して悪いことでは無いが、冨川さんは自分たちにだからできることはないだろうか?と自問自答されている。
大きな開発はデベロッパーさんに任せながらも、この街の良さ、この街らしい風景を残すことはできないだろうか?
17年前に独立と同時に移り住んでこられた冨川さんのお子さんは「日本橋生まれ日本橋育ち」。
お子さんにどんな故郷にしてあげたいか?と訪ねると、真っ先にこう答えられました。
「子供が大きくなった時に、友達を呼んできたい!と思う街になっててほしい」
この街にしかない魅力を、呼ばれてきた友達が魅力に感じ、その魅力をまた次の世代に伝えていく。
世代が変ってもずっとずっと魅力的な街であって欲しい。
そのためには、古い物を更地にして新しい物を作るのではなく、古い建物の良さ、魅力をリノベーションして次の世代がその世代にあった街作りを行っていく。
一見古い建物と新しい建物が混ざり合ったカオスにも見えるが、混ざり合うことで生まれる良さを作っていければと話されていました。
変化し続ける街にも日本橋の「記憶」が残る街作りを!
日本橋横山町から生まれるムーブメントから今後も目が離せません。